吉田 幸弘
江戸時代に建てられた墓から、その家の身分、家格などを見極めることが
できる近世墓鑑定士です。 古代出雲国の王、素戔嗚・大国主の末裔で、安部一族の安部宗任の末裔。 その後先祖は鎌倉時代になって吉田を名乗り、出雲吉田城の城主となる。 戦国時代には吉田流弓術を開眼し宗家となり、近江国吉田城の城主になった後、室町幕府第十二代将軍足利義晴公、仙台藩初代藩主伊達政宗公、大坂城代阿部正次の弓術指南役に就く。また越前朝倉家最後の当主、朝倉義景公にも弓術を指南し、朝倉家の家紋である「三つ盛木瓜」を贈られる。 しかし六代目宗家吉田豊綱の時に徳川将軍家弓術指南役を庶家と争い、それが叶わずに浪人となる。それから260年、一族は福島県常葉で過ごした後、著者の祖父が東京荒川に上京し、以後東京在住となる。 吉田流先祖探し術(吉田流)宗家 吉田助左衛門幸弘 私の先祖は日置流吉田流弓術の宗家だったようです。 室町幕府将軍家指南役を務めていましたが、徳川将軍家指南役をめぐって庶家と争い、宗家を絶家してしまいました。そのような史実を先祖探しを始めて知ることになり、このような流派を、中身こそ違いますが立ち上げた次第です。また「助左衛門」は代々唯授一人だった宗家に受け継がれた通称名です。私もそのような伝統からこの通称名を名乗っています。 吉田流宗家の家紋は、「丸に三つ盛木瓜」です。これは二代目宗家吉田助左衛門重政が、故あって越前朝倉家に客人として身を寄せた時、当主朝倉義景から越前朝倉家の家紋を贈られたものを丸で囲って代々受け継いでいます。 吉田流宗家 吉田助左衛門 |
(傳の会 代表) |
所長コンサルタント | ||||
吉田流宗家である所長が、皆さまの古いお墓を鑑定し、先祖をさがすお手伝いをいたします。 法務局の戸籍事務研修修了 |
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